コンテンツを「良く」消費したほうがいいという話
課題に追われているので現実逃避にブログをかきかきします。
今日は「コンテンツを消費するやり方にも良し悪しがある」という話をします。
なぜ、こんな話をするかというと
「悪い商品が淘汰される」という市場の原則が成り立たなくなってしまうからです。
とりあえず書いていこうかなと思います。
1.悪い消費の仕方とはどういうことなのか
じゃあ悪い消費ってなんだよって話になるんですけど、それはひとえに
- 「出来の悪いものをネタにする」
- 「悪いところを一切主張しない」
の2点にあると思っています。
現在ネットをにぎわせている「ファイナルソード」というゲームがありますが、あれは「悪い消費」の典型例だと思っています。
Nintendo Switchにて配信されたファイナルソードは、その出来の悪さ、BGMの無断利用などから問題視され、問題視からやがてネタへと昇華されていきました。
どこかの三角コーン系Twitter漫画家も「ファイナルソードをゼルダの新作って嘘ついて嫁にやらせたったww」みたいなことも言っており、良くも悪くも影響力のある人によって「ファイナルソード」の悪名はさらに広まっていきました。
ただ、ファイナルソードに問題を感じている人よりも、ファイナルソードの存在を面白がっている人が多いと私は感じており、それこそが問題になっているという認識があります。
5chにはKOTY(クソゲー・オブ・ザ・イヤー)という祭典がありますが、それがこの風潮を助長しているということもできるかもしれないと私は思っています。
ただ、KOTYおよびKOTYスレの住民たちは全く悪くありません。なぜなら「その年で最もクソだったゲームを決める」という明確な目標のもとに、新規でクソゲーを開拓していく人たちだからです。彼らの原則として「プレイした後のレビューの良し悪しで対象を決める」というものがあります。彼らは話題やネタ作りとしてKOTYを決めているのではなく、純粋にこの一年で最もクソだったゲームを決めているのです。
そのため、KOTY携帯ゲーム機部門では、受賞作が存在しない年もあります。その際のねとらぼインタビューでは「クソゲーが出ないことはいいことなんです」とスレ住人の人が語っていたのが印象的でした。
2.コンテンツはお前の承認の道具じゃない
「評判の悪いものをわざわざ楽しむ」という行為は、一般的に理解に苦しむ行為だと私は思っています。
これは私の偏見ですが、クソゲーに触れる人は、クソゲーハンターを除き「クソゲーをやっている自分がバズる」ということに期待しているところがあると思っています。
「このゲーム話題になってたけどやっぱりクソだったわww」というだけで「普通の人はやらないという珍しさ・目新しさ」と「あまりの駄作ぶりにネタ化・コミュニティの形成が進んでいる土壌の有利さ」の二つを手に入れることができるんです。
映画で言ったら実写版デビルマンでしょうか。実写版デビルマンを見るだけでTogetterにまとめが出来て、まとめの読者は作品を見るという苦行を避けつつ、突っ込みどころを笑うことができる。もちろん該当ツイートにメンションやらアクティビティやらがつく。
自分の発信したものを承認させるという点において、クソコンテンツはイージーな発信ネタになるのです。
まぁ別に人の承認欲求の満たし方にたいしてとやかく言うつもりはありませんが、そのようなコンテンツの楽しみ方をすることによる弊害を私は被りたくないんです。
3.「悪い楽しみ方」を狙ったクリエイターの登場
「質の悪いものを馬鹿にしている」ということは、質の悪いものを肯定することにつながっていきます。
ゲーム市場にて重要なことは、売り上げが立つか立たないかということです。
悪い楽しみ方をして、コンテンツに関与すること、それ自体が売り上げにつながる可能性が高いのです。
魔剣伝説というクソMMORPGがありますが、無料で10連ガチャを回した後、そのガチャの開封のために課金をする必要があります。
「悪い楽しみ方」をしている人(繰り返しになりますが、純粋なクソゲーハンターを除きます)は、話題作り・同情票のためにそのような悪質な課金を受け入れるでしょう。
そのようにしてクソコンテンツを作っている人に金が回り「クソみたいなコンテンツを作ったほうが手間もかからないしお金も落ちる」と勘違いさせる結果になってしまうのです。
その結果売り上げの立たない「隠れた良作」と言われている作品が淘汰され、売り上げが立ってしまう「話題になるクソコンテンツ」のみが市場にはびこっていく可能性は否定できないでしょう。
4.まとめ:コンテンツを素直に楽しむことが、良質なコンテンツに触れる時間を増やしてくれる
クソゲーハンターはクソゲーが好きだからこそ「これをやるのはお勧めしない」ということを繰り返し言う人が多いです。
そのような少数の需要をつぶしてしまうことは望まれることではありませんが、その少数の需要を大多数の需要へと変容させてしまうこともよくはありません。
「突っ込みどころまみれでクオリティが低いからネタになって面白い」という考え方は健全ではないと私は断言します。
良いものは良い、改善すべき点をデベロッパに送る、そういった基本的な正のフィードバックを行うことが、あなたを良質で満足できるコンテンツへと導いてくれるはずです。
最後になりますが、そのような「コンテンツを素直に楽しむ心」は、あなたが新しいコンテンツと出会った時に、そのコンテンツをリスペクトするための心強い味方となると私は思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。